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Team Energy株式会社で代表取締役社長を務める田中 正。
かつて37歳で立ち上げた社内ベンチャー企業を東証マザーズに上場したほか、株式会社関門海(玄品ふぐ)の会社再建にも尽力した経歴を持つ人物です。
今回は上場から会社再建までさまざまな経営経験をもつ田中のこれまでのビジネス人生を紐解き、過去の体験を通して「プロ経営者の条件」について聞きました。
プロフィール
田中 正 (たなか ただし)
スポーツクラブで働き、オリンピック選手育成に情熱を注ぐ。37歳で社内ベンチャーで起こした事業でマザーズに上場。100人の社長を育成するという志を持って(株)アンビシャスを創業する。その後、(株)関門海(東二部) 玄品ふぐ展開の会社再建で代表取締役社長に就任。社長兼CFO、会長兼CEOを歴任して退任。現在Team Energy株式会社で代表取締役社長を務める。
情熱を注いだ経験と反動から経営の道へ
──ファーストキャリアがスポーツクラブということですが、オリンピック選手の育成に注力されていたと聞きました。具体的にはどんなことをされていたんですか?
大学進学を目指して浪人中にアルバイトをしていたのですが、そのうちの一つがスポーツクラブ。もともと水泳をやっていたのもあって、コーチとしてやっていくうちに、オリンピック選手育成の「選手コース」のコーチに誘われたのが楽しかったんですよね。
そこで、バイトから本職にしようと思って紹介してもらったのが京都のスポーツクラブ。20〜21歳の頃だったと思います。そこに3〜4年いた後「大阪でフィットネスクラブを開業する人がいる」と紹介を受け、そのままそこで支配人をやることになりました。
そのフィットネスクラブも合わせて、10年以上スポーツ業界にいましたね。
──経営者になろうと思ったのはどういったきっかけだったのでしょうか?
スポーツクラブでは待遇が良くて、人生的にも問題はなかったんです。
でもある時社長に呼ばれて「うちは同族企業だから、社長にはなれない」という話をされたんです。
人を雇うときのコストなんかも話もされて、納得のいかない部分も多かった。
結果的に心が崩壊していってしまって……。
ただ、別のところに入って3年やればうまいこと上にいけるけど、このような疑問を抱き続け、また辞めてしまうというパターンを一生繰り返すだろうと感じてしまった。
唯一の方法は「自分が社長やるんやったらいける」ということだったんです。
「どこの会社に行っても、自分で社長やらんと無理やな」という結論になった。
社内ベンチャーから上場企業へ
社長になってやると決めたけれど、学歴も金も人脈も何もない。
「まずは自分で力を付けないと」と思って、スポーツクラブを辞めた後は4年間いろんなことをやりました。
まずやってみたのが、建築不動産業。
そこで例えば土地の仕入れから法律、事業計画から不動産の値づけからいろんなことを学べたんです。
次は事業展開のために「自分が考えたビジネスを全国展開する仕組みを知らなあかん」と思ったので、フランチャイズの仕組みを覚えるために「珈琲館」に勤めました。
他にもいくつか会社に入って、社長になるための準備ができたという感じですね。
そんなときに、たまたま見かけたのが朝日新聞の求人広告。
ビリヤードのフランチャイズと格闘技の通販をやってた会社だったんですが、そこの社長と4時間話し合って入社しました。
そこで始めた社内ベンチャーが、15分100円で遊べる会員制のレジャーバイキング「JJ CLUB 100」。
ラウンドワンさんの「スポッチャ」の原型となるような事業です。
大体1000坪から3000坪ぐらいの物件に、ボーリング投げ放題とゲーム、ビリヤード、卓球もある。本当は100円入れないと遊べないゲームも、スタートボタンを押すだけで何度も遊べる。新しいものもどんどん入れていきました。
安全・安心を謳っていたから、家族連れのお客さんが来てくれたのが一番嬉しかったですね。
金髪の女子高生とお父さんが太鼓の達人やボーリングやっている姿を見た時は「この業態やってよかったな〜」とほんまに思いましたよ。
事業の新しさもさることながら、データの蓄積も徹底しました。
たとえばAさんが来店したら、何と何と何を遊んだっていうデータを全部蓄積していくんですよ。蓄積していくとパターンが出てくるんすね。
「こういう遊びにハマる人は長い時間遊ぶ」「最初に来て45分以内に帰った人は2回目の来店がほぼない」みたいな。
フロントでの接客とか対応とかも誰が何するっていう仕組みも全部作って、最後は規模が多くなったから、自動精算までできる形に変えていったんですね。
今では当たり前の仕組みですけど、当時は先駆けだったんです。
実はJJ CLUB 100にお客さんが全く来ない時もあって。
──どうやって改善していったんですか?
実際に自分が店長をやって改善しました。
蓄積したデータを見ると1回目来店したお客さんが2回目の来店に繋がっていないことがわかって。
僕も人に任せっきりだったので、どうしたんだろう? と初めて店舗に行ったら従業員がダンスダンスレボリューションで遊んでいたくらい暇でした……。
店舗に入って初めて「営業時間が中途半端だ」とわかったんですね。そこでアルバイトの子たちに「24時間営業にする」と言ったんですが、みんな嫌がって帰ってしまった。レジ締めもわからないまま、1人で深夜営業をしなくてはいけなくなったんです。
僕のことを支えてくれた役員が深夜1時半頃に来てくれて、レジの締め方を教えてもらった。それから24時間営業をやりだしましたが、もう誰もついてきてくれませんでした。
でも、1週間くらいしてから近くの焼き鳥屋の兄ちゃんが来店して「来てみたかったけど閉まるのが早かったから来れなかったんだよね。24時間営業にしてくれたおかげで来れるようになった。ありがとう」と言ってくれたんです。
その日を機に毎晩その人がお店のお客さんと来てくれるようになってね。
一生懸命接客をしていたらお客さんから嬉しい言葉を言ってもらえることが多くなって、自然とお客さんも増えてきたんですよ。
リピート率もものすごく良くなってきて、その状況が2週間も続けばお店が活気付く。
そうするとアルバイトのリーダーが謝ってきてくれました。
「僕も田中さんみたいに、ちゃんと接客してお客さんに喜んでもらうようなことがしたいので教えてください」と言ってくれて。
そこまでは「お客さんが来ないのは俺の責任やな」と思ったから、トイレ掃除から何から何まで1人でやったんです。ほとんど寝てなくて、朝6時になったら車で家に帰ってシャワー浴びてまた店舗に戻ってきて……みたいな生活だった。
その姿を見て、アルバイトの子たちが少しずつ、積極的に働いてくれるようになりました。
最初の3ヶ月の売上が150万円くらいだったのが、1ヶ月半ぐらいで800万円ぐらいまで伸びて。
結局大体1ヶ月1000万〜1200万ぐらい(実験の小型店)の売上にまで上がりました。原価のないビジネスだから、それだけ売れたらかなりの利益は残りますからね。
最初に立てた「総店舗数でディズニーランドの来場者数を抜く」という目標も、最終的に達成。
世の中にない業態だったので、一気に上場できました。
「結局最後は、人に行き着く」
──その後、上場したネクストジャパンを退任して、株式会社アンビシャスを創業した経緯を教えてください。
上場時の経営方針で、ジョイジャパンクリエイトとネクストジャパンを合併させて上場しました。
元々は創業者の考え方も好きで、これで世の中にすごい貢献ができてその人の考え方を世に出したいな思っていました。ただ、上場して経営スタイルが時価総額経営になり「もはや理念もなくなったこの会社におっても意味がないな」と思って、心を病んで孤独に負けて退任してしまったんです。
そうすると、僕が辞めてからいろんな人が辞め出した。
僕の直属の部下が辞め出したり、不当な人事にあったりというのがあって……。
自分が作った事業を捨てて、自分が愛した組織も捨てて。おまけに人が辞め出して、会社がどんどん落ちていると聞いたら病んでしまった。
だから1年半弱ぐらい、八重山列島リゾートホテルを巡りながら、ひたすら本を読みました。
ジュンク堂で20万円分くらい本を買ってホテルに送って、その本を読み終わったらまた戻ってきて、またダンボール箱に20万円分の本を詰め込んで送るんです。
自分はCOOをやらせてもらって上場できて、すごく成長できたっていうのがあったから、そこで得たものは「いつか世の中に返さなあかんもんや」と思ったんです。
何か新しい商品を生み出したり、Appleとかマイクロソフトのように情報通信で世の中を変えたりはできないから、僕の場合は「結局最後は人に行き着く」と思った。
だからアンビシャスという会社を作ってもう一度世の中に返そうと思ったんです。
「100人の経営者を作りたい」という目標を掲げて、若い人にチャンスを与える。社長教育というものを続けています。
自分の経験や志を受け継いでくれる人を増やすということから「アンビシャス」と名付けました。
──Team Energy創業者の中村も100社、1000社作りたいと常々言っていますから、何か通ずるところがありますね。
“逆張り”で再生した関門海
──その後、株式会社関門海の代表取締役を務めますが、当初はどういう状態だったのでしょうか。
僕が社長に就任したときは、「倒産か民事再生かどちらかの道を迫られている」という状態。
前任の社長も再生するために店舗を潰したりとか、いろいろされたようですが「もうどうにもできません」っていう感じでした。
このまま潰すわけにもいかないし、社員の雇用を守らなければいけない。さらに上場企業なので、株主に対しての責任もある。大きい借金もあったので返済も大変。「これは誰も引き受けへん。再生できへんで、えらいことやな」と思いました。
──どういった施策を打って再建されたんですか?
僕は、逆張りしたんですね。
普通こういうとき、飲食事業は原価を下げる。人件費カットしたり、リストラしてコストダウンするでしょう。
僕は逆で、原価を上げて商品を良くして、社員の待遇を上げたんです。
なぜかと言うと、やっぱり飲食店は美味しくないと駄目なんですよ。
美味しいことによってお客さんから「おいしいね」って言われて従業員のやる気が出て、良い店舗ができるわけです。
まずいものを出したらお客さんからも不満を言われる。従業員はプライドと誇りがなくなって、だんだん嫌気がさしていく。
だから商品開発部には「原価原価いうな」「原価を言い訳にせずに満足できるものを出せ」と言っていました。
あと今では信じられへん思うけど、年間休日がたったの54日だったんです。
今でこそ「ブラック企業」と言われるけれど、そんな状況だった。だから社員のみんなは結婚や子どもができたタイミングで辞めてしまうんですよ。
本当は結婚しても働ける会社じゃないといけないし、家族で楽しめる時間も必要でしょう。
だから僕は3年計画を作って、従業員の休みを徐々に120日まで伸ばし、給料は1.3倍にするという目標を立てた。
こういうことを続けると、従業員が辞めなくなるんです。
1人辞めたら、それだけで何億という損失なんですよ。
店長まで育てるには5年ぐらいかかる。そこまでに何億円かけてその人を育てても辞めちゃうでしょ。それは会社にとって損失でしかありません。
だからこそ、従業員にやる気を出してもらうことが大事なんです。
金融機関に対しては、シンプルでわかりやすい再建計画を出しました。
再建計画は大体10年までなんですが、19年8ヶ月の再建計画に。金融機関には「新記録です」と言われました。
「他のことはせんと、徹底的に一番得意な分野で一点突破でいく」。こう決めてシンプルに美味しいもんを出す、従業員が元気出す、お客さんの評価が上がる、士気が上がるという事業戦略を出しました。
最初の3年くらいは、改善の効果がどんどん出てきたものの、いつ銀行が回収しますと言い出すかわからないギリギリの状態。
自分自身の役員報酬がゼロのときもあったし、キャリアの中でも一番試練の時期でした。
特に「3年で必ずみんなが満足する会社にするから残ってくれ」と伝えても辞めていかれたときはつらかったですね。
──今までのお話を聞いて、ファイナンスも強いですし、現場主義で従業員と血の通ったコミュニケーションを通して組織も作れる。さらに先見の明があって世の中にないビジネスモデルを構築することもできる。
たくさんの強みがあると思うのですが、ご自身で一つ挙げるとしたら、何が一番強いですか?
やっぱり実学を積んでいることかな。
ある程度いろんなことがほぼ一気通貫でわかっていて、自分で組織を作って意思決定もできるっていう人はほとんどいないとよく言われます。
評論家みたいに、いろんなことが言えるけど本当は実際にやれって言われたらできない人もいる。でも僕はいろんな経験を積んでいるんです。
なんでかというと「優秀な人に支えてもらってなんぼや」と思っているから。自分の力がないなら、優秀な人の力を貸してもらえば早いじゃないですか。
だから僕は、優秀な人にいろいろ協力をしてもらいながらやるのがうまいのかもしれない。
とは言っても、ファイナンスのことを全くとんちんかんでわからないと話にならない。
だからそういう意味ではいろいろ経験を積んできてるからわかる、というのが一番大きいでしょうね。
Team Energyで目指す森づくり
──Team Energyのお話もお聞きしたいんですが、Team Energyで成し遂げたい、やり切りたいということはありますか?
創業者の中村さんがやろうとしていることって「本当に可能なんかな」っていう疑問も最初はあったんです。
でも今はそんな世の中にまだないことを世に出すことを一緒にできるといいなという気持ちです。
あの中村さんの良さを失って欲しくない。
だからちゃんと中村さんが、いつまで経ってもあんなとんでもないことを言い続けられるような状態を作っていきたいんですよね。
中村さんは”夢と事業が育ちあう森”を作るということを掲げていますが、今はまだ植樹か種を蒔いているところ。ここから何年も経って、森ができるわけですよね。
10年後、20年後に世の中から評価を得た時に、最初から何らかの形で携われたと胸を張れることが、Team Energyで成し遂げたいこと。
そこに向かって、数年後には誰かにバトンを渡せるようにしたいんです。
──どんな状態になったらバトンを渡せますか?
僕の後を継いでくれる人がいて、その継いでくれる人が、あと水をやったりするだけで十分な状態のところまでは作ってあげたいけどね。中途半端はあかんなと思っています。
「失敗体験」がプロ経営者の礎に
──Team Energyがこれから社長を増やしていく中で、いわゆるスタートアップの社長というあり方のほかに、会社に社長を任されて活躍する「プロ経営者」というあり方も考えられますよね。
正さんはそういう面では、上場や再建の経験を持つまさにプロ。正さんのような「プロ経営者」になるにはどんな経験が必要でしょうか。
ありきたりかもしれないけれど、経営経験。
特に重要視してるのは成功の中の失敗経験です。
一般的には成功体験と言われるような中にも失敗体験はあって、それを大事にしています。
例えば、JJ CLUB 100での上場。
今の僕だったらもっと組織の運営とか役員との調整とかを上手にできたんちゃうかなと思うわけですよね。
関門海を再建しました。でも、やり方を変えたらもっとうまいこといってたんちゃうんかなとか。
全てたらればなんだけれどね。
あと今大事にしているのは、プロ経営者には覚悟が必要だよ、ということ。
依頼されて経営者になる人は、いわばサラリーマン経営者。基本的に給料が安定してるわけです。
結局は誰かに雇われて何か契約があって「僕の責任はここまでですよ」という確約がある。
でもリスクを背負ったプロ経営者の場合は、結果が下がったら給料ゼロになる可能性だってあるんです。ゼロっていうのは極端ですけど、やっぱり業績に応じて給料は変わりますよね。
だからこそ「プロ経営者」とはどういうものなのか、定義していかないといけない。
例えばマイクロソフトでシステムエンジニアをやっていましたとなれば、Googleでも通用したりするわけですよね。専門知識があって経験があって、頭が優秀なら次に行ける。
だけど経営者の場合はちょっと違いますよね。
僕みたいに飲食の経験がないけれども、関門海の社長をやって会社を再建できる。
だからある意味プロ経営者って、業種職種問わず経営できる人なのかもしれないですね。
Team Energyはプロ経営者として成長できる環境がある
「失敗経験が大事」と語るように、自分の失敗談や試練の時期の話もしてくれました。
純粋なノウハウだけではなく、考え方や志まで伝えてくれる血の通った経営を垣間見ることができました。
Team Energyには失敗も含めて、チャレンジを奨励してもらえる環境が揃っています。
田中正のような上場と会社再建を経験した経営者が伴走してくれる、自分自身と事業を成長させられる環境で社長にチャレンジしてみませんか?